Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
親父が、紋次郎の撮影カメラマンでした。親父とは、疎遠でしたがこうして、親父の生きた証のものがあるのは、嬉しいです。
おせっかいな水戸黄門より、誰にも関わりたくなくても、最後は関わってしまう紋次郎がカッコ良かった。
印籠よりカッコいい長楊枝。
「あっしには関わりのねぇことで」と言いながら、最終的には思いっきり関わってしまうのが紋次郎。
しかも、濃くね。
この日本の原風景が残っている地域は無いだろうな。もう2度とこの様なOPは作れないだろう。
時代劇らしからぬ爽快で豪快なメロディー、とにかく素晴らしい。中村敦夫さんがとにかくかっこいいのよ。
今どきの地上波の連ドラにこんなテーマソング無いでしょwどんだけ熱い時代だったんだww
時代はかわるとは言いますが、なんて良い時代に、なんて楽しい時代に生まれた事かを感じるこの頃です。
僕が中学2年生の時に放送していました。今、65歳になってこの歌の歌詞が心に響きます。♪どこかで誰かがきっと待っていてくれるこれは、頑張って生きていればきっといいことがある。そんな詩に感じます。
家族で観てました。懐かしくて涙が出てしまう。
今は芸人頼みのバラエティーばっかで、滅びを待っているテレビだけど、昔は上質なドラマが多かったんですよね~
まったく同感です❤最近のテレビのドラマは まったく何もかん時ません❗️
Мне кажется что это общемировая тенденция. Хотя быть может я слишком стар
ゲストの俳優陣も素晴らし俳優さんばっかり!芥川さんのナレーションも泣けました!オープニングの曲と映像から没入でした。あ~、いつまでも語れる😄
今観ても興奮と感動するドラマ。古いのに斬新で切なくて格好よくて懐かしくも新しい 音楽も歌も最高。 ウェスタン時代劇?
30歳のゆとり世代の俺の心にも何かズシッとくるものを感じた。「どこかで誰かがきっと待ってくれている」待ってくれている根拠なんてないけど、心の支えにして生きていくには十分な言葉ですね。
毎日毎日1972年版の木枯し紋次郎の録画を見ています。私は中村さんの出演された時代劇の中で木枯し紋次郎が一番好きです。若き日の中村さんが最高にカッコイイ!この時のスタッフの職人技の凄さがひしひしと画面から伝わってきます。社会現象を起こした歴史に残る傑作所大劇万歳!
昔はアニメやウルトラマンシリーズとかドラマのテーマ曲もすべて全力でいいものを作ろうとしてる情熱を感じるね
まさに!!まさに!!
昔はTVが老若男女の共通の楽しみだったからでしょう。今は全く違いますね。
今は日本人と違う感性のテレビばかりで もう木枯らし紋次郎は 今や日本の宝です永遠に不滅です‼️
もうこんな時代劇はないだろう。
「どうする家康」じゃ、足下にも及ばない。
何故か記憶に残ってたこの歌、木枯し紋次郎だったのか
家の親父が時代劇大好きで、水戸黄門や金さん、大江戸捜査網等を観ていました。しかし、紋次郎の殺陣のシーンが、本当の切り合いだと話してました。
歌も原作も俳優も監督も全てが揃ってた。あの頃のよき日は二度と戻らない。
日本は貧乏になってきてるので、ハングリー精神に溢れた人がまた出て来ますよ
涙が出てくる。何故だろう。
胸の奥から熱いものがこみ上げてきます。
かっこええわあ。ほんまにかっこええ。
最近、故あって観る様になったのですが、毎回紋次郎のカッコよさに痺れますね。無口で強くて、筋を通して人知れず去ってゆく。男の生き方の一つの理想ですね。誰の指図も受けず自分の責任であえて孤高を貫き通す。古今東西のヒーローの要素が全部詰まっていると思います。この主題歌も寂寥の中にあって、優しさを捨てられない紋次郎のテーマとして名曲だと思います。
原作読む前に観たから、原作はずっと中村敦夫さんの紋次郎でした。
すごく懐かしい。小さくて覚えてないけど。この歌は覚えてる。
自分の中では「木枯し紋次郎」は時代劇の最高傑作だと思っている。オープニングテーマ最高だし。
大江戸捜査網も良いですよね。
@@user-wj5ek2rt5x 「木枯し紋次郎」の舞台は「大江戸捜査網」の40数年後。
@@TATANKA-nf4ck 大江戸捜査網にそんな微細な時代設定があったのですか?
@@masahiromitani9214 寛政6年(1794)ぐらいかと。松平定信の時代。にもかかわらず、リボルバーの拳銃が出てくる。リボルバーはそれこそ、紋次郎の時代(天保年間/1830年代)に欧米のどこかで発明されたはず。
私の中でも時代劇ドラマの中では最高ですが、私が29才の時、NHKで、粋のいいヤツと言うドラマかありました。素晴らしいドラマでした。私の中では紋次郎以上のドラマです。
しばらく前、勝新の座頭市の再放送してたが、昭和40年代の地方の山河の映像って、日本の宝物だなぁ。あの頃の原風景的な日本の映像は後世まで残して欲しい。
TAKRAMAKAN
映像記録としてしか残って無いのが残念です。
撮影て使用する予定だった太秦の時代劇セットが大映の倒産で使えなくなったので、やむを得ずロケに頼らざらなくなったのが、逆にリアリティーを増したと言われていましたね。
藤岡宿 其処から北東に赤城山 麓には忠治と大前田英五郎の出生地 国定 村と宮城村大前田の地名があるはず?暫く南西方向へ降れば懐かしい!……!
放送当時は、新人で無名の中村敦夫さんを主人公に持って来たことが、挑戦でしたねぇ。しかも、放送時間が土曜日の夜10:30分から1時間で放送と言う挑戦的な行動には、ビックリしました。それが大ヒットして、社会現象にもなった事も記憶しています。市川崑劇場として、アウトロ-を主人公に持って来るとは・・・!!驚きました。
僕は中村さんの紋次郎が1番好きです。茶づけの食べ方、太刀の必死のモガキ方はリアルで格好つけない所が好きでした。
はい、確かにそうでしたね。某喫茶店で、市川さんが中村敦夫さんを呼んで、入って来た中村さんの姿を一目見た瞬間に、コイツに決めた!!ってのが、天才的でしたねぇ。
あっしには、かかわりござんせん、と言いながら、結局、かかわる
まさしくその通りです。定かでない。笑😊😂😊
私は雷蔵ファンで市川崑監督の映画を何本も見ましたが、雷蔵が亡くなった時、桜の舞い散る下で円月殺法をやらせたかったと言っておられた後で、今までと全く違う時代劇を作ると言われました。それでどんなものかと待っていたら、紋次郎で、びっくりしました。しかし、流石に当時日本一とも言われた大映時代劇製作スタッフ、作品の出来も見事!テーマ曲も素晴らしい!高度なテクニックを使った編曲に唸りました。
中村さんのこの横顔素敵ですね。
何年経っても忘れられない。市川崑の映像美と中村敦夫のクールな主人公🦅
「おめえさんのことは、思い出しもしやせんが、忘れもいたしやせん。」
ファーストシーズンの7話目のおしのさん。かな?
十朱幸代いい話でした。
あっしにはかかわりのねぇことでござんす。
こんな時代に、たくましく生きてこられた先人たちがいて、今の私たちがいるんですよね・・・
紋次郎の剣は決して強くなかったが、必死でがむしゃらに向かっていくところが素晴らしかったです。不器用も武器になると教わりました。
あっしには明日はねぇんでござんす私を支えた紋次郎の言葉です
分かります❗️今日1日精一杯生きて行きたいたいです‼️
上條恒彦さんのバックで演奏したことがあります。声量の凄さに驚きました。
おおっ、自由が丘かどこかで、関係者かファンが営んでいた、六文銭という店があったことを思い出しました。
ただただ、羨ましい。一生の財産ですね!
この頃はハンドマイクのヘッドを持って歌う人はいなかったから今の歌手は太刀打ちできないでしょ。
太秦で時代劇のアシスタントスタッフだった頃に、打ち上げの宴席で歌って頂きましたね🎵
はじめはおとなし目のギター、ベース、ドラムス程度の伴奏が2コーラス以降壮大なフルオーケストラになってボーカルに覆い被さってくる(そしてそれをはねつけるような上條恒彦のボーカル力!)。まるで孤独な主人公に世間の荒波がおしよせてくるような神アレンジ。
貴方は言葉による表現力が素晴らしいですね。また、音楽の事も詳しいですね。しかし、「だれかが風の中で」っていう唄の題名はなぜ「だれかが…」の所を「誰かが…」にしなかったんでしょうかね?
@@user-bj1ed9yh8l (誰かが)だと硬いからじゃないでしょうか?何かの解説文ではあるまいし、歌う事を前提にした詞なので柔らかな表現の方が好ましいと思われたのではないでしょうか?
この曲をオリジナルの音声で、しかもフルでアップしてくれたのは、本当に嬉しい!!!
日本の美しい自然を感じさせてくれる作品でもあった。小学生ながら心はすでに木枯し紋次郎であった
ホント、いい按排で山間風景のカット入れてくる良い編集
同感関わりはないと言いながら巻き込まれる不幸な人戦いかたもスマートではなかったですね。
この番組をみて中仙道巡りをする様になりました。
都会の人はどうかは知らないけれど、田舎に行くと古びた神社やお寺があっちこっちにあって今でもそこから紋次郎が出てきそうな場所が沢山ある。寂しさと懐かしさと情緒があり、ハマったドラマ。
@@yoropiku100 まだまだ時代劇に出て来そうな風景あります。渓流沿いの細い道とか、人工植林ではない山の風景とかありますよ。茨城北部の山間地なんか多いです。良く行きますが、人がいなくて風情あります。ガイドブックの観光地よりよっぽどいい。
飯を食うのと歩くのが速いのは明らかに紋次郎の影響です。
市川崑渾身のタイトルバック。あれを 見るだけでも価値がある。
それまでの、主人公が困っている人を率先して助けるのではなく、最初は「あっしには関わりのねえこって・・・」と一度は関わらないようにする。 しかし、問題は向こうからやってきて、結局は関わってしまう。 たしかに人生なんてそんなものだと思う。なんかリアリティのある物語でした。
常に暗く独特な市川崑の映像の世界において、子供ながらこの歌にどこか救われた想いがしていた。当時の映像や感覚が蘇ってくる。
中村敦夫がめちゃめちゃかっこいいな。こんな時代劇、もう一度作ってほしいもんだ。
一般的な時代劇のこうくればこうする的な殺陣では無いこのドラマが好きでした。
「市川崑劇場」と銘打ってましたね。ファーストシーンのスローモーション、コマ割など新鮮でしただから市川崑が降りて(「続」まで)、「新」はちょっと質が落ちる。主題歌も違うし
この偉大な曲が、同じ長野出身の上條恒彦さんが歌っているのが誇りです。もちろん、作品にもマッチした熱い名曲です
仕事で苦しくて辛いとき、「雲は焼け・・・」と口ずさんでる。凄く好きな詞と曲と歌唱。
「どこかで誰かが、きっと待っていてくれる」この一言が、どれだけ励ましてくれたか知れない。それは今も続いている。
文ちゃんも紋次郎やったけどやっぱり紋次郎は中村敦夫のもんやなぁ
使い込まれた刀と旅の道具(これがまたきれいに整理されて収納されている),笠や道中合羽のくたびれ具合など細かい部分も見入ってしまう。それに渋いセリフの数々。一番気に入っているのは,「行く当てもねえ旅でござんすが,道は急ぐものときめてるんで」。
今、思い返しても日本の原風景の美しいシーンがよみがえる。もう、失われた景色もあるのではないだろうか?そして紋次郎は他人に関わらないスタンスを貫き通そうとしながらも、時として優しさが止まらずにかえって仇となることもしばしばだったと思う。幼少の頃親に口減らしのために殺されそうになったとき、姉に助けてもらった記憶から人の優しさを捨てきれずにいるからだ。期待はしていないが、捨てきれもしない。いつも、自身の中でその葛藤がある、単純ではない人物像を中村敦夫さんが見事に演じていたように覚えている。人間の醜いところ、内面も良く表していたし、ゲストの女優たちも懐かしい。
生きてゆくための力をくれる...こんな物語が現代にも欲しい...
誰もにも頼らず自らの力のみを頼りにして生きてゆくための。
私も、このドラマにはずいぶん助けられました。挫けそうになった時も、力を与えてもらいました。
生きるための力…そうですよね。
力はあるのだが、今の時代希望が無いのよ
けれども、どこかで、お前は待って、いてくれる…その宛のない…待っていてくれる人を求めて、今日もオレは、旅を一人…🍃>>>>>(;-_-)ゞ
中学の頃よく歌ってた。紋次郎は正義では無く、生きるために人を斬るかっこ良くない所が、かっこいい。
この歌を聴くと、何故か込み上げてくる物が…昭和…良い時代でした
今見てもカッコいいなあ💕
レンタルおちのビデオすり切れるくらいみました。原作も読み込みました。舞台が近所であることもあり聖地巡礼してます。本当に大好きです。
勇気が湧いてくる曲
いい歌だなあ。懐かしい。ほんまに。
紋次郎役の中村敦夫、めちゃめちゃ足が速くて逃走シーンの場面で普通のエキストラでは追いつけなくて大学のラグビー部員をエキストラとして使っていたという逸話があります。
えべっさんのタコ焼思い出した。
当時中村敦夫は無名の舞台俳優で市川さんとしては深めの三度傘被るには顔だ丸めの俳優ででなく顔が少し長めの俳優じゃないと出来ないと決めていたらしい。当時フジでは有名俳優を使うべきだと反対意見も多くあったが紋次郎のキャラに合うのは無名だが中村しかいないと市川監督は譲らなかったらしい、
そんなシーンがあったっけ!
中村敦夫さんが監督をした時のエピソードでしたね。
常に 木枯し紋次郎 のような 孤高のひとり旅を続ける自分自身(ボク)への テーマソング だと思っています。
一世を風靡した番組でした。強烈な印象を与えた「木枯し紋次郎」でした。主題歌曲も、詩情があって良かった。あの時代を表現するには、外せない番組でした。
1977年の東京12チャンネル(現テレビ東京)版の木枯らし紋次郎もこの曲をそのまま流用して欲しかったですね。この曲の爽やかさが紋次郎の虚しさを癒している不思議なバランスがヒットの一因であったと思います。東京12チャンネル版は虚しい毎日の繰り返しの感が否めませんね。大人の事情とやらでしょうが不毛な発想でした。
中村敦夫さんとは福岡市の新天町でお会いしました、初めて笑顔の紋次郎を拝見しました、感激でした、、
全てにおいてカッコいい時代劇だった
若き中村敦夫の痺れるほどかっくいぃ〜
どこにも故郷は無い、泣く奴は誰だ!この上何が欲しいっ!!て所で毎回泣いてしまう
本当にそう思います。全て素晴らしい歌詞ですが、私はこの部分が一番好きです。
まったく同感ですね、懐かしい❗紋次郎
その部分も好きですが、同じくらい好きな部分が《痛みは生きている印だ》です還暦前ですが、色々あるたびにこの部分が支えになりました
私はもう還暦を超えましたが、自分はなにをいいたいにゃろうとおもいます。
時代劇が最も面白い時代でしたね🎵
毎回のお話が、ハッピーエンドとは限らず、なにか悲しい、闇のにおいがするエンディングが子供心に特別感を抱かせる番組でした。上条恒彦さんの壮大な歌いっぷりにもグッとくるものがあります。紋次郎の食事シーンで、中村敦夫さんの、おかずも、みそ汁も、全てごはん茶碗にぶちまけ、ぐりぐりかき混ぜて、にぎり箸でかっこむ演出がすごかったです。土曜の夜10時が楽しみな中学生でした。
人生が水戸黄門や遠山の金さんの様な勧善懲悪ではないというのを子供心に教えてくれたドラマでした。
木枯らし紋次郎は座頭市と同じでリアルなんですね。その姿もきらびやかかでなく雨風に打たれた三度傘、道中河童無宿人を市川昆監督は当時の姿を再現されてある。
残酷なところ、貧乏で、どうにもならないところ、市川昆さんは本当にリアリティーそのままに撮っていました。もうこんなドラマは絶対にない。
確かに、世の中、理不尽で出来ていると、子供ながらに心に訴えかけられる作品でしたね💦
それなら桃太郎侍は冗談でしかない。
あの番組はファンタジーだから、丸っきりカテゴリーが紋次郎とは違いですよね。
「映像美」という言葉は、この作品のためにあるんだと思います。OP、主題歌…「死ぬ時が来たら黙って死ぬ」「思い出す昨日なんぞ、ござんせん」「過ぎた事は、無かった事と同じでござんすよ」台詞も最高でした。
このセリフ、かっこよすぎ😂今聞くと涙が出る。余計な昨日を抱え過ぎた。悔しくて思い出す事が一杯。
@@torukiuchi666様→1杯呑んで、明日も立ち向かっていけばよいかと😊
もうこんな素晴らしい作品はで無いでしょうね😞
僕が中学2年生の時でした。毎週夢中で観ていました。このリアリティーは凄かった。
いつもようじを加えてた高校生でした、
テレビドラマで、市川崑監督て、すご過ぎ。毎週だよ?
@@user-mn3ik7tl7n 中村敦夫さん、昔香港でドラマのロケやってて。スタッフが地回りのチンピラに絡まれたそうです。で中村さんが止めに入ったら「モンジロー!モンジロー!」って騒ぎになって。香港でも放映しててチンピラもファンだったらしくそこから一切トラブル無くなったみたいです。本物は普遍、国境越えますね。
以後、じゃんじゃん出てくるとおもいます。
紋次郎は未だ生きておりやす、1940年2月8日生 82歳のはずでござんすよ 先を急ぐものでごめんなすって、、✍️🤣
ずいぶんとお達者で!
リアルタイムで観てました。上條さんの歌も格別ですが、逃げまくって相手が疲れたところをぶった切る殺陣のシーンも秀逸でした。刹那くも希望も垣間見える逸品。
「上州新田郷里の・・・」から、故、芥川隆行氏のナレーション。紋次郎の「あっしには、・・・」の名セリフ。笑いもせず、泣きもせず、無表情な紋次郎、ラストには、長い【楊枝】を吹き付け、その場を去るうしろ姿!カッコ良すぎました!
頼れるものはただ一つ、己の腕と枯死のドス。
芥川さん。亡くなったんですか。ナレーションすきでした。🙏
忘れ物に気付いて慌てて取りに戻る所が大好きだったなあ。
可愛くてキュンてします💕
50年前の禅寺で見ていました。
いつもクールな紋次郎さんの、 人間味のある1シーンですよね😃
当時、小学生の頃に買ってもらったドーナツ盤をまだ持っています。「こころはむかし死んだ/ほほえみは会ったこともない/きのうなんか知らない」というところに来ると泣けてきて仕方がない。紋次郎の決して美しくない、ただ死にたくないことに必死な殺陣にも胸にグッと来てしまいます。
貧農家から出奔、武士としての作法も剣術も習っていない不器用に太刀のぶん回す殺陣はショッキングでもありました。
@@eikoara6708 あっしは侍じゃござんせん。無宿渡世の紋次郎ともうしやす。
小学生の時に親に木枯し紋次郎ゲームを買ってもらった。調子に乗って学校の先生に怒られた時に「あっしには関わり合いのないことでござんす」と言ったら親に態度が悪いと連絡され、買ってもらった木枯し紋次郎ゲームを取り上げられてしまって一晩泣いた記憶がある。
木枯らし紋次郎ゲーム!ww😆授業中に爪楊枝くわえて、学友に向かってプッとやらかしたとか??
幼児期に今は天国にいる父母と聴いた遠い遠い淡い思い出有ります日本人は原点に暖かい淡い思い出や記憶 悲しい気持ちを大事に締まってるんですね若い世代にもスマホ世代の若い人にもこんな良さを知って欲しい
ハードボイルドの極致
ハードボイルド?Gメン75?
異色の時代劇。主題歌とも名作だと思います。
当時日本最高レベルの大映の製作スタッフ。美術、カメラ、監督などクレジットを見るだけで、ため息が出ます。中村敦夫のクールな佇まいが作品にジャスト、マッチしてました。素晴らしい作品です。
木枯し紋次郎は若き日の私自身であったような気がします。孤独だが、孤独が好きで人間が好きになれなかった過去を思い出します。
小説「帰ってきた紋次郎」シリーズで渡世人として下り坂の紋次郎が描かれています。昔のどんでん返しはありませんが、他人と多少関りながら達観した感じが救われます。
孤独と孤独が好きというのは、似て非なる感じがしますよね。
連帯を求めて孤独を恐れず。
@@ernstmach1583 大学の壁に書かれていました。学生運動の時代、当時はこの言葉が格好良く見えました。
@@user-od4pn1bb1p 懐かしいね‼️ 今はみんな後期高齢者だもんなぁ🤷
「紋次郎、おまえはなんのために生きている、」「死にたくないから生きている」
「まだ死んじゃいねえから生きてる、そんなところだろうさ」じゃなかったっけ。
@@wanchai199498 明日の事なんざ考えた事なんてありやせん。今日を生きる事だけでせえいっぱいでござんすからっていう台詞もありましたね。
「あっしには関わりのねえことでござんす」格好いいね
といいつつ、人情に後ろ髪引かれてついつい関わってしまう・・・男前だねぇ!
おらの一番好きな台詞は、正確ではないかもしれないけどようじを鳴らすきっかけの話で『お前さんを想いだす事はありやせんが、忘れる事もありやせん ごめんなすって』ですねー 十朱幸代さんがお相手でした わびしさと切なさが哀愁
今でも、使える言葉でしょう。あっしには、かかわりあいのねえ~こってござんす。何かを思い出せ、そんな気がする時代劇でしたね。泥臭い殺陣が本物でしょう。簡単に人が切れるものじゃない。ネット番組で同様なものが蘇ってほしいものです。。。
コレ、ボクのキメ台詞なんだけど。
It’s not my business.当時の新聞記事に英訳として出ていて中学生だった自分は「そーか、こうやって訳すんだ」と感心した覚えが。
金ないモテない勇気ないの19歳の時、「日本人もハードボイルドができるんだ!」と欠かさず観ていました。30年後、中村敦夫さんと知り合って、『ウルトラセブン』のアンヌ隊員ことひし美ゆり子さんと一緒に飲んだり(敦夫さん、彼女に絡まれてました)、2人で5時間も飲んで語り合い、「今日は楽しかった」と笑顔で別れたのは忘れがたい思い出です。人生の出会いとは不思議なものです。
風のなかで生きてると 嬉しい事にも出逢える。
すごい思い出があつたんですね。当時私は高校でした。毎週見てました。今現在も見てますよ。
素敵なエピソード、ありがとうございます。
名作は何十年過ぎようとも自分の心に行き続けている。ここに集まる同士の心にも紋次郎は生き続けている❗
まったく同感ですね❗紋次郎同窓会やりたい‼️懐かしい、懐かしい。ああ
そして、いつかは覚えている人もいなくなるんでしょうね。歳をとるってそういうことなんですね。 寂しいです。 話が共有できる人がいなくなる。
芥川隆行のナレーションも秀逸でしたね。
上州新田郡、三日月村の貧しい農家に生まれたという。10歳の時、故郷を捨て、その後一家は離散したと伝えられている。天涯孤独の紋次郎、どういう経路で無宿渡世の世界に入ったかは定かでない。・・・そらで言えます。
@@texm4155 さん 紋次郎は口減らしの時使う、コンニャクが嫌いだったんじゃなかったっけ?
パンナム。ありがとうございます。
昭和のドラマのナレーションは大抵この人か来宮良子のイメージ
本当そうですね。芥川隆行さんのナレーションは最高でしたね。
52年前の今日第一話が放送されたんですね。
紋次郎の名台詞。昔に自分を助けてくれた医者の娘に淡い恋をした紋次郎が、女郎になったその娘と再会し、別れ際に「あんたの事は思い出しやしゃせん。でも、決して忘れやしゃせん。」この台詞が今も強烈に記憶に残ってますわ。
政治家としてはクソしょうもない奴だったけどね。選択的夫婦別姓には賛成、日の丸・君が代には反対。これだけでも、どんな思想の奴だったのかということがよく分かる。
@@埼玉原人 へオマエのコメントがオオグソ💩やな。
その娘、当時は確か5歳。
@@埼玉原人何処の中韓の手先っすか?戸籍破壊して背乗り推進するんすか
アンタが糞だよ@@埼玉原人
ここに紹介されているスチル写真の全てが確固たる美意識に基づいている。音楽も含め製作者の真剣さが伝わってくる。
この番組を生で見た世代です。さすが市川崑監督ですね、脚本良し、俳優良し、音楽良し、すべて完璧でしたね。今、見ても面白い。最高だ!
ご飯に味噌汁ぶっかけて、漬物も乗せて、毎回かっこみたくなりました。思わず真似したくなる格好良さ!
すごく美味しそうに見えたので、真似していました😆
高校生の時、テレビで毎回見てました。「あっしには、関わりのねえこってござんす」の台詞、上條さんの歌声と共に、思い出して懐かしいです。いま66歳、もう50年過ぎました。
かっこいい、オジサマだと思います。
小さい頃に毎週見てました。クラスメートと爪楊枝咥えて遊んでました。懐かしいドラマです。これほど印象残るドラマに最近出会ってないです
上條恒彦さん🎵木枯し紋次郎もだけど、めちゃくちゃに懐かしいなぁ😆このカッコ良さ、今の時代にはない楽曲や歌声だと思えちゃう
かっけぇ。全然しらないのに、めちゃくちゃかっけぇ。
年齢ばれますが、幼少期に木枯し紋次郎を観てました。時代劇の紋次郎も”だれかが風の中で”の歌詞の通りそのままです。とにかくかっこいいです。
今振り返ってみるとあの頃のことは夢うつつでした。かっこいいです。
内容は全てを覚えてはいられないけど、ドラマもアニメも特撮も主題歌が僕たちの今を支えてくれているような気がする、55歳になった私。
ちょっと昔、新聞で上條さんのインタビュー記事に、若い頃父上の古い知人の方に「お前も(歌が)上手くなった。でもまだ父親にはかなわない」と言われたと載っていたのを読んで、お父さんどんだけ凄い人よってワケんからなくなった覚えがあります。
こうした野性味溢れる時代劇が欲しい。今の時代劇は、綺麗に作り過ぎだろう❗
イケメン起用にも気を取られすぎ(笑)。
寂寥感を美的に表現した最高の傑作人の世からはじきだされて目的もなく彷徨い続ける男の姿が何故これほどまでに美しいのか、北関東の乾燥した物悲しい風景がピッタリだった
全く❗️同感です。
「人の世からはじき出されて目的もなく彷徨い続ける男‥‥‥」。私もそうだったのかな?認めたくはないが。
木枯らし紋次郎は、他の日本の時代劇とは違う!上條さんのテーマソングの歌と言い、どこかマカロニ・ウエスタン風な一匹アウトロー的な、全てがカッコいいよね👌市川監督の感性と中村敦夫さんの色気が木枯らし紋次郎を日本時代劇の最高峰に仕上げていると思います✨今のシラケた時代に紋次郎のようなヒーローがいて欲しい!
塩谷浩一 さん あなたがおっしゃったように、木枯し紋次郎には確かに、マカロニウェスタンなアウトロー的なものを感じますね。中村敦夫には和製ジュリアーノ・ジェンマやクリント・イーストウッドに似た風格を感じます。 この番組が制作された時期は、ちょうどアメリカでは、アメリカンニューシネマが主流になっていて、そこにはハッピーエンドも勧善懲悪はなく、あるのは、反体制の若者が体制に反抗するアンチヒーロー、最後は体制に圧殺されるか悲惨な最期を遂げるかのアンチハッピーエンドを中心とした映画の全盛期と重なります。 この時代劇も、水戸黄門のような勧善懲悪のようなものはなく、すべては悪役でそこには正義がない、まさに日本版アメリカンニューシネマの雰囲気を感じます。
俺はこの世代ではないしこの作品を後で知りましたが、確かにアウトローだけど苦労人で・・極力関わらないスタイルを貫きつつなんだかんだと既存のヒーロー像よりよっぽど優しい気がします
中村敦夫さんの著作物を読みました。実際、マカロニ・ウエスタンをイメージして制作されたそうです。今、見ても斬新な時代劇で似たような作品を今になっても、これまで見たことがありません。
小室等もお忘れなく。
心は、昨日死んだ。この台詞痺れたねえ❗最高だ。
早朝ジョギングをしていて派手に転んで膝と肘をすりむいたときにこの歌が浮かんだ! 「 血は流れ皮は裂ける。痛みは生きているしるしだ。いくつ峠をこえた•••• 」膝と肘の痛みをこらえつつジョギングを終えたあと、汗と埃にまみれた傷口を眺めながら、紋次郎のことを想った。
木枯らし紋次郎!上州新田郡、三日月村の貧しい農家に生まれたという、十歳の時に国を出、その後、一家は離散したという、天涯孤独な紋次郎が、どういう経路で無宿渡世の世界に入ったのか定かでない この最後の芥川さんのナレーションは耳に、焼き付いている
細かいツッコミで恐縮ですが経路ではなく経緯だったと思うよ
そうですね、ありがとうございます
木枯し紋次郎、異色の時代劇でした。それまでの時代劇はどんなものでも「群像」を描いていた。ところが、木枯し紋次郎はどこまで行ってもテーマは「孤独」だった。歌詞に「だれかが」「おまえは」と出てくるが、それは紋次郎自身のことではないか。生まれるときも一人、死ぬときも一人。そんなドラマだった。
テレビが先で、その後に原作読んだから、紋次郎は中村敦夫だった。
明るく暗く最後に前向きな歌詞に世代を問わず今日を生きる人に捧げられた歌。主題歌と最後のナレーションでストーリーを忘れても内容は覚えているもちろん紋次郎がかっこいいのは言うまでもない
親父が、紋次郎の撮影カメラマンでした。
親父とは、疎遠でしたがこうして、親父の生きた証のものがあるのは、嬉しいです。
おせっかいな水戸黄門より、誰にも関わりたくなくても、最後は関わってしまう紋次郎がカッコ良かった。
印籠よりカッコいい長楊枝。
「あっしには関わりのねぇことで」と言いながら、最終的には思いっきり関わってしまうのが紋次郎。
しかも、濃くね。
この日本の原風景が残っている地域は無いだろうな。
もう2度とこの様なOPは作れないだろう。
時代劇らしからぬ爽快で豪快なメロディー、とにかく素晴らしい。中村敦夫さんがとにかくかっこいいのよ。
今どきの地上波の連ドラにこんなテーマソング無いでしょw
どんだけ熱い時代だったんだww
時代はかわるとは言いますが、
なんて良い時代に、なんて楽しい時代に生まれた事かを感じるこの頃です。
僕が中学2年生の時に放送していました。今、65歳になってこの歌の歌詞が心に響きます。
♪どこかで誰かがきっと待っていてくれる
これは、頑張って生きていればきっといいことがある。そんな詩に感じます。
家族で観てました。懐かしくて涙が出てしまう。
今は芸人頼みのバラエティーばっかで、滅びを待っているテレビだけど、昔は上質なドラマが多かったんですよね~
まったく同感です❤最近のテレビのドラマは まったく何もかん時ません❗️
Мне кажется что это общемировая тенденция. Хотя быть может я слишком стар
ゲストの俳優陣も素晴らし俳優さんばっかり!芥川さんのナレーションも泣けました!
オープニングの曲と映像から没入でした。あ~、いつまでも語れる😄
今観ても興奮と感動するドラマ。古いのに斬新で切なくて格好よくて懐かしくも新しい 音楽も歌も最高。 ウェスタン時代劇?
30歳のゆとり世代の俺の心にも何かズシッとくるものを感じた。
「どこかで誰かがきっと待ってくれている」
待ってくれている根拠なんてないけど、心の支えにして生きていくには十分な言葉ですね。
毎日毎日1972年版の木枯し紋次郎の録画を見ています。私は中村さんの出演された時代劇の中で木枯し紋次郎が一番好きです。若き日の中村さんが最高にカッコイイ!この時のスタッフの職人技の凄さがひしひしと画面から伝わってきます。社会現象を起こした歴史に残る傑作所大劇万歳!
昔はアニメやウルトラマンシリーズとかドラマのテーマ曲もすべて全力でいいものを作ろうとしてる情熱を感じるね
まさに!!まさに!!
昔はTVが老若男女の共通の楽しみだったからでしょう。今は全く違いますね。
今は日本人と違う感性のテレビばかりで もう木枯らし紋次郎は 今や日本の宝です永遠に不滅です‼️
もうこんな時代劇はないだろう。
「どうする家康」じゃ、足下にも及ばない。
何故か記憶に残ってたこの歌、木枯し紋次郎だったのか
家の親父が時代劇大好きで、水戸黄門や金さん、大江戸捜査網等を観ていました。
しかし、紋次郎の殺陣のシーンが、本当の切り合いだと話してました。
歌も原作も俳優も監督も全てが揃ってた。
あの頃のよき日は二度と戻らない。
日本は貧乏になってきてるので、ハングリー精神に溢れた人がまた出て来ますよ
涙が出てくる。
何故だろう。
胸の奥から熱いものがこみ上げてきます。
かっこええわあ。ほんまにかっこええ。
最近、故あって観る様になったのですが、毎回紋次郎のカッコよさに痺れますね。無口で強くて、筋を通して人知れず去ってゆく。
男の生き方の一つの理想ですね。誰の指図も受けず自分の責任であえて孤高を貫き通す。古今東西のヒーローの要素が全部詰まっていると思います。
この主題歌も寂寥の中にあって、優しさを捨てられない紋次郎のテーマとして名曲だと思います。
原作読む前に観たから、原作はずっと中村敦夫さんの紋次郎でした。
すごく懐かしい。小さくて覚えてないけど。この歌は覚えてる。
自分の中では「木枯し紋次郎」は時代劇の最高傑作だと思っている。
オープニングテーマ最高だし。
大江戸捜査網も良いですよね。
@@user-wj5ek2rt5x
「木枯し紋次郎」の舞台は「大江戸捜査網」の40数年後。
@@TATANKA-nf4ck
大江戸捜査網にそんな微細な時代設定があったのですか?
@@masahiromitani9214 寛政6年(1794)ぐらいかと。松平定信の時代。にもかかわらず、リボルバーの拳銃が出てくる。リボルバーはそれこそ、紋次郎の時代(天保年間/1830年代)に欧米のどこかで発明されたはず。
私の中でも時代劇ドラマの中では最高ですが、私が29才の時、NHKで、粋のいいヤツと言うドラマかありました。素晴らしいドラマでした。私の中では紋次郎以上のドラマです。
しばらく前、勝新の座頭市の再放送してたが、昭和40年代の地方の山河の映像って、日本の宝物だなぁ。
あの頃の原風景的な日本の映像は後世まで残して欲しい。
TAKRAMAKAN
映像記録としてしか残って無いのが残念です。
撮影て使用する予定だった太秦の時代劇セットが大映の倒産で使えなくなったので、やむを得ずロケに頼らざらなくなったのが、逆にリアリティーを増したと言われていましたね。
藤岡宿 其処から北東に赤城山 麓には忠治と大前田英五郎の出生地 国定 村と宮城村大前田の地名があるはず?暫く南西方向へ降れば懐かしい!……!
放送当時は、新人で無名の中村敦夫さんを主人公に持って来たことが、挑戦でしたねぇ。しかも、放送時間が土曜日の夜10:30分から1時間で放送と言う挑戦的な行動には、ビックリしました。それが大ヒットして、社会現象にもなった事も記憶しています。市川崑劇場として、アウトロ-を主人公に持って来るとは・・・!!驚きました。
僕は中村さんの紋次郎が1番好きです。茶づけの食べ方、太刀の必死のモガキ方はリアルで格好つけない所が好きでした。
はい、確かにそうでしたね。某喫茶店で、市川さんが中村敦夫さんを呼んで、入って来た中村さんの姿を一目見た瞬間に、コイツに決めた!!ってのが、天才的でしたねぇ。
あっしには、かかわりござんせん、と言いながら、結局、かかわる
まさしくその通りです。定かでない。笑😊😂😊
私は雷蔵ファンで市川崑監督の映画を何本も見ましたが、雷蔵が亡くなった時、桜の舞い散る下で円月殺法をやらせたかったと言っておられた後で、今までと全く違う時代劇を作ると言われました。それでどんなものかと待っていたら、紋次郎で、びっくりしました。
しかし、流石に当時日本一とも言われた大映時代劇製作スタッフ、作品の出来も見事!テーマ曲も素晴らしい!高度なテクニックを使った編曲に唸りました。
中村さんのこの横顔素敵ですね。
何年経っても忘れられない。市川崑の映像美と中村敦夫のクールな主人公🦅
「おめえさんのことは、思い出しもしやせんが、忘れもいたしやせん。」
ファーストシーズンの7話目のおしのさん。かな?
十朱幸代
いい話でした。
あっしにはかかわりのねぇことでござんす。
こんな時代に、たくましく生きてこられた先人たちがいて、今の私たちがいるんですよね・・・
紋次郎の剣は決して強くなかったが、必死でがむしゃらに向かっていくところが素晴らしかったです。不器用も武器になると教わりました。
あっしには明日はねぇんでござんす
私を支えた紋次郎の言葉です
分かります❗️今日1日精一杯生きて行きたいたいです‼️
上條恒彦さんのバックで演奏したことがあります。
声量の凄さに驚きました。
おおっ、自由が丘かどこかで、関係者かファンが営んでいた、六文銭という店があったことを思い出しました。
ただただ、羨ましい。一生の財産ですね!
この頃はハンドマイクのヘッドを持って歌う人はいなかったから今の歌手は太刀打ちできないでしょ。
太秦で時代劇のアシスタントスタッフだった頃に、打ち上げの宴席で歌って頂きましたね🎵
はじめはおとなし目のギター、ベース、ドラムス程度の伴奏が2コーラス以降壮大なフルオーケストラになってボーカルに覆い被さってくる(そしてそれをはねつけるような上條恒彦のボーカル力!)。まるで孤独な主人公に世間の荒波がおしよせてくるような神アレンジ。
貴方は言葉による表現力が素晴らしいですね。また、音楽の事も詳しいですね。しかし、「だれかが風の中で」っていう唄の題名はなぜ「だれかが…」の所を「誰かが…」にしなかったんでしょうかね?
@@user-bj1ed9yh8l (誰かが)だと硬いからじゃないでしょうか?何かの解説文ではあるまいし、歌う事を前提にした詞なので柔らかな表現の方が好ましいと思われたのではないでしょうか?
この曲をオリジナルの音声で、しかもフルでアップしてくれたのは、本当に嬉しい!!!
日本の美しい自然を感じさせてくれる作品でもあった。小学生ながら心はすでに木枯し紋次郎であった
ホント、いい按排で山間風景のカット入れてくる良い編集
同感関わりはないと言いながら巻き込まれる不幸な人戦いかたもスマートではなかったですね。
この番組をみて中仙道巡りをする様になりました。
都会の人はどうかは知らないけれど、田舎に行くと古びた神社やお寺があっちこっちにあって今でもそこから紋次郎が出てきそうな場所が沢山ある。寂しさと懐かしさと情緒があり、ハマったドラマ。
@@yoropiku100 まだまだ時代劇に出て来そうな風景あります。渓流沿いの細い道とか、人工植林ではない山の風景とかありますよ。茨城北部の山間地なんか多いです。良く行きますが、人がいなくて風情あります。ガイドブックの観光地よりよっぽどいい。
飯を食うのと歩くのが速いのは明らかに紋次郎の影響です。
市川崑渾身のタイトルバック。あれを 見るだけでも価値がある。
それまでの、主人公が困っている人を率先して助けるのではなく、最初は「あっしには関わりのねえこって・・・」と一度は関わらないようにする。 しかし、問題は向こうからやってきて、結局は関わってしまう。 たしかに人生なんてそんなものだと思う。
なんかリアリティのある物語でした。
常に暗く独特な市川崑の映像の世界において、子供ながらこの歌にどこか救われた想いがしていた。当時の映像や感覚が蘇ってくる。
中村敦夫がめちゃめちゃかっこいいな。こんな時代劇、もう一度作ってほしいもんだ。
一般的な時代劇のこうくればこうする的な殺陣では無いこのドラマが好きでした。
「市川崑劇場」と銘打ってましたね。ファーストシーンのスローモーション、コマ割など新鮮でした
だから市川崑が降りて(「続」まで)、「新」はちょっと質が落ちる。主題歌も違うし
この偉大な曲が、同じ長野出身の上條恒彦さんが歌っているのが誇りです。もちろん、作品にもマッチした熱い名曲です
仕事で苦しくて辛いとき、「雲は焼け・・・」と口ずさんでる。凄く好きな詞と曲と歌唱。
「どこかで誰かが、きっと待っていてくれる」
この一言が、どれだけ励ましてくれたか知れない。
それは今も続いている。
文ちゃんも紋次郎やったけど
やっぱり紋次郎は中村敦夫のもんやなぁ
使い込まれた刀と旅の道具(これがまたきれいに整理されて収納されている),笠や道中合羽のくたびれ具合など細かい部分も見入ってしまう。それに渋いセリフの数々。一番気に入っているのは,「行く当てもねえ旅でござんすが,道は急ぐものときめてるんで」。
今、思い返しても日本の原風景の美しいシーンがよみがえる。もう、失われた景色もあるのではないだろうか?そして紋次郎は他人に関わらないスタンスを貫き通そうとしながらも、時として優しさが止まらずにかえって仇となることもしばしばだったと思う。幼少の頃親に口減らしのために殺されそうになったとき、姉に助けてもらった記憶から人の優しさを捨てきれずにいるからだ。期待はしていないが、捨てきれもしない。いつも、自身の中でその葛藤がある、単純ではない人物像を中村敦夫さんが見事に演じていたように覚えている。人間の醜いところ、内面も良く表していたし、ゲストの女優たちも懐かしい。
生きてゆくための力をくれる...こんな物語が現代にも欲しい...
誰もにも頼らず自らの力のみを頼りにして生きてゆくための。
私も、このドラマにはずいぶん助けられました。
挫けそうになった時も、力を与えてもらいました。
生きるための力…そうですよね。
力はあるのだが、今の時代希望が無いのよ
けれども、どこかで、お前は待って、いてくれる…
その宛のない…待っていてくれる人を求めて、今日もオレは、
旅を一人…🍃>>>>>(;-_-)ゞ
中学の頃よく歌ってた。紋次郎は正義では無く、生きるために人を斬る
かっこ良くない所が、かっこいい。
この歌を聴くと、何故か込み上げてくる物が…
昭和…良い時代でした
今見てもカッコいいなあ💕
レンタルおちのビデオすり切れるくらいみました。原作も読み込みました。舞台が近所であることもあり聖地巡礼してます。本当に大好きです。
勇気が湧いてくる曲
いい歌だなあ。懐かしい。ほんまに。
紋次郎役の中村敦夫、めちゃめちゃ足が速くて逃走シーンの場面で普通のエキストラでは追いつけなくて大学のラグビー部員をエキストラとして使っていたという逸話があります。
えべっさんのタコ焼思い出した。
当時中村敦夫は無名の舞台俳優で市川さんとしては深めの三度傘被るには顔だ丸めの俳優ででなく顔が少し長めの俳優じゃないと出来ないと決めていたらしい。当時フジでは有名俳優を使うべきだと反対意見も多くあったが紋次郎のキャラに合うのは無名だが中村しかいないと市川監督は譲らなかったらしい、
そんなシーンがあったっけ!
中村敦夫さんが監督をした時のエピソードでしたね。
常に 木枯し紋次郎 のような 孤高のひとり旅を続ける
自分自身(ボク)への テーマソング だと思っています。
一世を風靡した番組でした。強烈な印象を与えた「木枯し紋次郎」でした。主題歌曲も、詩情があって良かった。あの時代を表現するには、外せない番組でした。
1977年の東京12チャンネル(現テレビ東京)版の木枯らし紋次郎もこの曲をそのまま流用して欲しかったですね。この曲の爽やかさが紋次郎の虚しさを癒している不思議なバランスがヒットの一因であったと思います。東京12チャンネル版は虚しい毎日の繰り返しの感が否めませんね。大人の事情とやらでしょうが不毛な発想でした。
中村敦夫さんとは福岡市の新天町でお会いしました、初めて笑顔の紋次郎を拝見しました、感激でした、、
全てにおいてカッコいい時代劇だった
若き中村敦夫の痺れるほどかっくいぃ〜
どこにも故郷は無い、泣く奴は誰だ!この上何が欲しいっ!!て所で毎回泣いてしまう
本当にそう思います。全て素晴らしい歌詞ですが、私はこの部分が一番好きです。
まったく同感ですね、懐かしい❗紋次郎
その部分も好きですが、同じくらい好きな部分が《痛みは生きている印だ》です
還暦前ですが、色々あるたびにこの部分が支えになりました
私はもう還暦を超えましたが、自分はなにをいいたいにゃろうとおもいます。
時代劇が最も面白い時代でしたね🎵
毎回のお話が、ハッピーエンドとは限らず、なにか悲しい、闇のにおいがするエンディングが子供心に特別感を抱かせる番組でした。
上条恒彦さんの壮大な歌いっぷりにもグッとくるものがあります。
紋次郎の食事シーンで、中村敦夫さんの、おかずも、みそ汁も、全てごはん茶碗にぶちまけ、ぐりぐりかき混ぜて、にぎり箸でかっこむ演出がすごかったです。
土曜の夜10時が楽しみな中学生でした。
人生が水戸黄門や遠山の金さんの様な勧善懲悪ではないというのを子供心に教えてくれたドラマでした。
木枯らし紋次郎は座頭市と同じでリアルなんですね。その姿もきらびやかかでなく雨風に打たれた三度傘、道中河童無宿人を市川昆監督は当時の姿を再現されてある。
残酷なところ、貧乏で、どうにもならないところ、市川昆さんは本当にリアリティーそのままに撮っていました。もうこんなドラマは絶対にない。
確かに、世の中、理不尽で出来ていると、子供ながらに心に訴えかけられる作品でしたね💦
それなら桃太郎侍は冗談でしかない。
あの番組はファンタジーだから、丸っきりカテゴリーが紋次郎とは違いですよね。
「映像美」という言葉は、この作品のためにあるんだと思います。OP、主題歌…「死ぬ時が来たら黙って死ぬ」「思い出す昨日なんぞ、ござんせん」「過ぎた事は、無かった事と同じでござんすよ」台詞も最高でした。
このセリフ、かっこよすぎ😂今聞くと涙が出る。余計な昨日を抱え過ぎた。悔しくて思い出す事が一杯。
@@torukiuchi666様→1杯呑んで、明日も立ち向かっていけばよいかと😊
もうこんな素晴らしい作品はで無いでしょうね😞
僕が中学2年生の時でした。毎週夢中で観ていました。このリアリティーは凄かった。
いつもようじを加えてた高校生でした、
テレビドラマで、市川崑監督て、すご過ぎ。毎週だよ?
@@user-mn3ik7tl7n
中村敦夫さん、昔香港でドラマのロケやってて。スタッフが地回りのチンピラに絡まれたそうです。で中村さんが止めに入ったら「モンジロー!モンジロー!」って騒ぎになって。香港でも放映しててチンピラもファンだったらしくそこから一切トラブル無くなったみたいです。本物は普遍、国境越えますね。
以後、じゃんじゃん出てくるとおもいます。
紋次郎は未だ生きておりやす、1940年2月8日生 82歳のはずでござんすよ 先を急ぐものでごめんなすって、、✍️🤣
ずいぶんとお達者で!
リアルタイムで観てました。上條さんの歌も格別ですが、逃げまくって相手が疲れたところをぶった切る殺陣のシーンも秀逸でした。刹那くも希望も垣間見える逸品。
「上州新田郷里の・・・」から、故、芥川隆行氏のナレーション。紋次郎の「あっしには、・・・」の名セリフ。笑いもせず、泣きもせず、無表情な紋次郎、ラストには、長い【楊枝】を吹き付け、その場を去るうしろ姿!カッコ良すぎました!
頼れるものはただ一つ、己の腕と枯死のドス。
芥川さん。亡くなったんですか。ナレーションすきでした。🙏
忘れ物に気付いて慌てて取りに戻る所が大好きだったなあ。
可愛くてキュンてします💕
50年前の禅寺で見ていました。
いつもクールな紋次郎さんの、 人間味のある1シーンですよね😃
当時、小学生の頃に買ってもらったドーナツ盤をまだ持っています。「こころはむかし死んだ/ほほえみは会ったこともない/きのうなんか知らない」というところに来ると泣けてきて仕方がない。紋次郎の決して美しくない、ただ死にたくないことに必死な殺陣にも胸にグッと来てしまいます。
貧農家から出奔、武士としての作法も剣術も習っていない不器用に太刀のぶん回す殺陣はショッキングでもありました。
@@eikoara6708 あっしは侍じゃござんせん。無宿渡世の紋次郎ともうしやす。
小学生の時に親に木枯し紋次郎ゲームを買ってもらった。調子に乗って学校の先生に怒られた時に「あっしには関わり合いのないことでござんす」と言ったら親に態度が悪いと連絡され、買ってもらった木枯し紋次郎ゲームを取り上げられてしまって一晩泣いた記憶がある。
木枯らし紋次郎ゲーム!ww😆授業中に爪楊枝くわえて、学友に向かってプッとやらかしたとか??
幼児期に今は天国にいる父母と聴いた遠い遠い淡い思い出有ります
日本人は原点に
暖かい淡い思い出や
記憶 悲しい気持ちを
大事に締まってるんですね
若い世代にも
スマホ世代の若い人にもこんな良さを知って欲しい
ハードボイルドの極致
ハードボイルド?Gメン75?
異色の時代劇。主題歌とも名作だと思います。
当時日本最高レベルの大映の製作スタッフ。美術、カメラ、監督などクレジットを見るだけで、ため息が出ます。中村敦夫のクールな佇まいが作品にジャスト、マッチしてました。素晴らしい作品です。
木枯し紋次郎は若き日の私自身であったような気がします。孤独だが、孤独が好きで人間が好きになれなかった過去を思い出します。
小説「帰ってきた紋次郎」シリーズで渡世人として下り坂の紋次郎が描かれています。昔のどんでん返しはありませんが、他人と多少関りながら達観した感じが救われます。
孤独と孤独が好きというのは、似て非なる感じがしますよね。
連帯を求めて孤独を恐れず。
@@ernstmach1583 大学の壁に書かれていました。学生運動の時代、当時はこの言葉が格好良く見えました。
@@user-od4pn1bb1p 懐かしいね‼️ 今はみんな後期高齢者だもんなぁ🤷
「紋次郎、おまえはなんのために生きている、」「死にたくないから生きている」
「まだ死んじゃいねえから生きてる、そんなところだろうさ」じゃなかったっけ。
@@wanchai199498 明日の事なんざ考えた事なんてありやせん。今日を生きる事だけでせえいっぱいでござんすからっていう台詞もありましたね。
「あっしには
関わりのねえことで
ござんす」
格好いいね
といいつつ、人情に後ろ髪引かれてついつい関わってしまう・・・男前だねぇ!
おらの一番好きな台詞は、正確ではないかもしれないけど
ようじを鳴らすきっかけの話で
『お前さんを想いだす事はありやせんが、忘れる事もありやせん ごめんなすって』ですねー 十朱幸代さんがお相手でした わびしさと切なさが哀愁
今でも、使える言葉でしょう。あっしには、かかわりあいのねえ~こってござんす。
何かを思い出せ、そんな気がする時代劇でしたね。泥臭い殺陣が本物でしょう。簡単に人が切れるものじゃない。
ネット番組で同様なものが蘇ってほしいものです。。。
コレ、ボクのキメ台詞なんだけど。
It’s not my business.
当時の新聞記事に英訳として出ていて
中学生だった自分は「そーか、こうやって
訳すんだ」と感心した覚えが。
金ないモテない勇気ないの19歳の時、「日本人もハードボイルドができるんだ!」と欠かさず観ていました。30年後、中村敦夫さんと知り合って、『ウルトラセブン』のアンヌ隊員ことひし美ゆり子さんと一緒に飲んだり(敦夫さん、彼女に絡まれてました)、2人で5時間も飲んで語り合い、「今日は楽しかった」と笑顔で別れたのは忘れがたい思い出です。人生の出会いとは不思議なものです。
風のなかで生きてると 嬉しい事にも出逢える。
すごい思い出があつたんですね。当時私は高校でした。毎週見てました。今現在も見てますよ。
素敵なエピソード、ありがとうございます。
名作は何十年過ぎようとも自分の心に行き続けている。ここに集まる同士の心にも紋次郎は生き続けている❗
まったく同感ですね❗紋次郎同窓会やりたい‼️懐かしい、懐かしい。ああ
そして、いつかは覚えている人もいなくなるんでしょうね。
歳をとるってそういうことなんですね。 寂しいです。 話が共有できる人がいなくなる。
芥川隆行のナレーションも秀逸でしたね。
上州新田郡、三日月村の貧しい農家に生まれたという。10歳の時、故郷を捨て、その後一家は離散したと伝えられている。天涯孤独の紋次郎、どういう経路で無宿渡世の世界に入ったかは定かでない。・・・そらで言えます。
@@texm4155 さん 紋次郎は口減らしの時使う、コンニャクが嫌いだったんじゃなかったっけ?
パンナム。ありがとうございます。
昭和のドラマのナレーションは大抵この人か来宮良子のイメージ
本当そうですね。芥川隆行さんのナレーションは最高でしたね。
52年前の今日
第一話が放送されたんですね。
紋次郎の名台詞。
昔に自分を助けてくれた医者の娘に淡い恋をした紋次郎が、女郎になったその娘と再会し、別れ際に
「あんたの事は思い出しやしゃせん。
でも、決して忘れやしゃせん。」
この台詞が今も強烈に記憶に残ってますわ。
政治家としてはクソしょうもない奴だったけどね。選択的夫婦別姓には賛成、日の丸・君が代には反対。これだけでも、どんな思想の奴だったのかということがよく分かる。
@@埼玉原人 へ
オマエのコメントがオオグソ💩やな。
その娘、当時は確か5歳。
@@埼玉原人何処の中韓の手先っすか?戸籍破壊して背乗り推進するんすか
アンタが糞だよ@@埼玉原人
ここに紹介されているスチル写真の全てが確固たる美意識に基づいている。音楽も含め製作者の真剣さが伝わってくる。
この番組を生で見た世代です。さすが市川崑監督ですね、脚本良し、俳優良し、音楽良し、すべて完璧でしたね。今、見ても面白い。最高だ!
ご飯に味噌汁ぶっかけて、漬物も乗せて、毎回かっこみたくなりました。思わず真似したくなる格好良さ!
すごく美味しそうに見えたので、真似していました😆
高校生の時、テレビで毎回見てました。「あっしには、関わりのねえこってござんす」の台詞、上條さんの歌声と共に、思い出して懐かしいです。いま66歳、もう50年過ぎました。
かっこいい、オジサマだと思います。
小さい頃に毎週見てました。クラスメートと爪楊枝咥えて遊んでました。懐かしいドラマです。これほど印象残るドラマに最近出会ってないです
上條恒彦さん🎵
木枯し紋次郎もだけど、めちゃくちゃに懐かしいなぁ😆
このカッコ良さ、今の時代にはない楽曲や歌声だと思えちゃう
かっけぇ。全然しらないのに、めちゃくちゃかっけぇ。
年齢ばれますが、幼少期に木枯し紋次郎を観てました。時代劇の紋次郎も”だれかが風の中で”の歌詞の通りそのままです。とにかくかっこいいです。
今振り返ってみるとあの頃のことは夢うつつでした。かっこいいです。
内容は全てを覚えてはいられないけど、ドラマもアニメも特撮も
主題歌が僕たちの今を支えてくれているような気がする、55歳になった私。
ちょっと昔、新聞で上條さんのインタビュー記事に、若い頃父上の古い知人の方に「お前も(歌が)上手くなった。でもまだ父親にはかなわない」と言われたと載っていたのを読んで、お父さんどんだけ凄い人よってワケんからなくなった覚えがあります。
こうした野性味溢れる時代劇が欲しい。
今の時代劇は、綺麗に作り過ぎだろう❗
イケメン起用にも気を取られすぎ(笑)。
寂寥感を美的に表現した最高の傑作
人の世からはじきだされて目的もなく彷徨い続ける男の姿が
何故これほどまでに美しいのか、北関東の乾燥した物悲しい風景がピッタリだった
全く❗️同感です。
「人の世からはじき出されて目的もなく彷徨い続ける男‥‥‥」。私もそうだったのかな?認めたくはないが。
木枯らし紋次郎は、他の日本の時代劇とは違う!上條さんのテーマソングの歌と言い、どこかマカロニ・ウエスタン風な一匹アウトロー的な、全てがカッコいいよね👌
市川監督の感性と中村敦夫さんの色気が木枯らし紋次郎を日本時代劇の最高峰に仕上げていると思います✨
今のシラケた時代に紋次郎のようなヒーローがいて欲しい!
塩谷浩一 さん あなたがおっしゃったように、木枯し紋次郎には確かに、マカロニウェスタンなアウトロー的なものを感じますね。中村敦夫には和製ジュリアーノ・ジェンマやクリント・イーストウッドに似た風格を感じます。
この番組が制作された時期は、ちょうどアメリカでは、アメリカンニューシネマが主流になっていて、そこにはハッピーエンドも勧善懲悪はなく、あるのは、反体制の若者が体制に反抗するアンチヒーロー、最後は体制に圧殺されるか悲惨な最期を遂げるかのアンチハッピーエンドを中心とした映画の全盛期と重なります。
この時代劇も、水戸黄門のような勧善懲悪のようなものはなく、すべては悪役でそこには正義がない、まさに日本版アメリカンニューシネマの雰囲気を感じます。
俺はこの世代ではないしこの作品を後で知りましたが、確かにアウトローだけど苦労人で・・極力関わらないスタイルを貫きつつなんだかんだと既存のヒーロー像よりよっぽど優しい気がします
中村敦夫さんの著作物を読みました。実際、マカロニ・ウエスタンをイメージして制作されたそうです。
今、見ても斬新な時代劇で似たような作品を今になっても、これまで見たことがありません。
小室等もお忘れなく。
心は、昨日死んだ。この台詞痺れたねえ❗最高だ。
早朝ジョギングをしていて派手に転んで膝と肘をすりむいたときにこの歌が浮かんだ! 「 血は流れ皮は裂ける。痛みは生きているしるしだ。いくつ峠をこえた•••• 」膝と肘の痛みをこらえつつジョギングを終えたあと、汗と埃にまみれた傷口を眺めながら、紋次郎のことを想った。
木枯らし紋次郎!上州新田郡、三日月村の貧しい農家に生まれたという、十歳の時に国を出、その後、一家は離散したという、天涯孤独な紋次郎が、どういう経路で無宿渡世の世界に入ったのか定かでない この最後の芥川さんのナレーションは耳に、焼き付いている
細かいツッコミで恐縮ですが
経路ではなく経緯だったと思うよ
そうですね、ありがとうございます
木枯し紋次郎、異色の時代劇でした。それまでの時代劇はどんなものでも「群像」を描いていた。ところが、木枯し紋次郎はどこまで行ってもテーマは「孤独」だった。歌詞に「だれかが」「おまえは」と出てくるが、それは紋次郎自身のことではないか。生まれるときも一人、死ぬときも一人。そんなドラマだった。
テレビが先で、その後に原作読んだから、紋次郎は中村敦夫だった。
明るく暗く最後に前向きな歌詞に世代を問わず今日を生きる人に捧げられた歌。主題歌と最後のナレーションでストーリーを忘れても内容は覚えているもちろん紋次郎がかっこいいのは言うまでもない